脇差(平造) : 武蔵大掾藤原忠広 新刀 最上作 肥前国

脇差(平造) : 武蔵大掾藤原忠広 新刀 最上作 肥前国 / 長さ一尺二寸四分強(37.8cm) / 反り1.3cm / 地鉄、細かい小糠肌 / 刃文、中直刃に小丁子、鼠足 / 庵棟 / 生茎 / 金着二重ハバキ / 白鞘 / 特別保存 / 160万(税込)

種別 : わきざし
長さ37.8cm、
反り1.3cm、
目釘穴1個、

寸法 : すべて約
元幅(棟含む)3.38cm、
元重0.75cm、
重量385g、

付属 : 白鞘、
鑑定 : 特別保存 平成29年、

特徴 :
・平造り、
・地鉄 先より小板目交り、縮緬肌、元にかけて鮮明に米糠肌となる。
・刃文 中直刃調、浅い湾タレ、匂い口明るくフックラ、刃冴える、食い違い刃、小丁子足入る、
・切っ先 帽子は小丸で先沸え葉付く、深く返る、
・庵棟 やや高め、
・生茎、銘文太鏨で棟寄り、各棟、鑢目浅い勝手下がり、入山形、


説明 :
「武蔵大椽」忠広は初代、肥前国忠吉(橋本新左衛門)の受領した晩年銘で寛永元年以降に改名した作品となる、この頃は江戸期になり作風も総体的に華やかとなるものが多い。
先ず、歴史的には鎌倉時代、肥前国には今だ刀鍛冶の存在は観測されていないと古い書籍にある。
南北朝の初期頃から室町時代、筑前左の系統らが平戸の地域などにて出現している。
しかしこれらは特段、優秀なものとして目立つものではなかった。
そして桃山期から江戸期になると、本題の忠吉が出現し発起、一躍を総じている。
これが一家の祖となり、肥前刀鍛冶の特色を発生し世に高めた事である。
忠吉、元亀三年生まれ、慶長初期より肥前佐賀藩、鍋島直茂公より藩工とし召出され、禄高二十五石を給わり京へ上京、目的は名門、埋忠明寿に学びその技術を習得する事であった、約三年後に帰国している。そして従来の長瀬村から佐賀城下の長瀬村に一族、十五名と弟子六十四余という大人数を連れて移住した、時代は慶長の三年頃(28歳)になる。
寛永九年八月十五日没、没年61歳。
その後も一門系は江戸時代に繁栄し絶大な存在感を示し、そして品質高い良刀を多数産出した。
その一門の勢力は忠吉八代、更に九代目説といわれ明治頃まで続いている、反れましたが、初期より忠吉を筆頭とした最上作、優秀な逸材が二代、三代…そして脇肥前…作品と名工らが大勢、その努力が名声を高めた。
肥前国忠吉、本国はもとより国内、海外の博物館にも展示され名品と称賛されている。
その為、資料も多く一つの大きなカテゴリーとして扱われており理解までは道のりが大変難しいといわれますが、楽しむには最高の分類だと思います。
それゆえ、熱烈なコレクターも多数存在すると知られます。
今回は画像のよう精良な地鉄の「初代 忠広」が入荷しました。
本作は平造り、少し深く反り付く、元重ね厚く、良質な玉鋼を使用した鉄色のものであり、400年中経過した中で砥磨回数を想像すると砥減りは極力少ない方だと思う、良質だが薄目という皮鉄の摩耗により心鉄の発生、肌を損なう箇所、そして鍛割れがありません。
地鉄の細かい働きは青江、山城物の古刀肌を思わせます。平造りの形状、制作時に何度か玉鋼を鍛え、折り返した部分は元先に変化が見られます。刃文は通常の忠広銘、得意の中直刃を焼いたもの。末永くご所有頂ける肥前刀の一口、ご満足いただけると思います。

脇差(鎬造り) : 肥前国忠吉(五字) 新刀 最上作 肥前国

脇差(鎬造り) : 肥前国忠吉(五字) 新刀 最上作 肥前国 / 長さ一尺七寸七分 / 反り、四分五厘 / 目釘穴2 / 地鉄、米糠肌 / 刃文、浅い湾タレ、互の目交じり、二重刃、葉付く / 生茎 / 一重ハバキ / 白鞘 / 特別保存 / 75万(税込) / 平地に鍛え割れあり、他、十分楽しめる忠吉、探すと無い人気の初代の乱れ刃、初期銘、鑑定書は秋到着予定です